ゲームと自分
ファイナルファンタジー7 REMAKE(FINAL FANTASY VII REMAKE)
クリアしました!
本稿はソフト自体のレビューじゃないので細かく言わないですが、やっぱり大作ですね!良かったです!
で、この「ファイナルファンタジー7 REMAKE」を通して、自分という人間が一つ分かったので残しておきたい。
「ファイナルファンタジー7 REMAKE」は面白いんですが
やっている中でなんとなく変な冗長感があって、ずっと違和感があったんです。
(ソフト自体を否定しているわけではないです。)
違和感を言語化できず
この違和感って何だろな、と考えてたんです。
グラフィックはキレイだし、細部までこだわりのある街づくりやムービー。
街の人の会話で実は要所要所のストーリーをメインだけでなく補完出来たりして好きです。
普通に良いゲームなんです。
(ストーリーは置いておいて。元があるのを除けばこのストーリーで良かったとは思います。)
2回目のHARDモードでやった時に、違和感の謎に気づけました。
HARDモードというか2回目になって
あんまり重要じゃないムービーをSkipしたり、声を気にせずテキストのみでストーリーを進めるようにしたら
ようやく冗長感がなくなって、テンポが良くなり違和感なく進められるようになった感がありました!
結局自分にとってはコレが違和感だったようです。
どんなゲームであれ
自分のペースで進められる、これが自分にあうゲームスタイル。
テキストで表示されれば、その後のアクションいらない。
自分のスピードで読み進められる。
もちろん、テキストを盛り上げるためにその時にアクションがあっても良いんです。
でもテキストで表現されたものをアクションや声に追従すると
言いたいことが分かっているのに見るため、聞くために待っていることになる。
これが自分にとっての冗長感の原因でした。
昔からのゲームって声がないのが前提。テキストのみなので基本的にアクションが薄目。
またはあってもテキストベースの会話でテンポが悪くならないように、やっぱり調整していくれていたと思うんです。
(容量の関係が大本にあったと思いますが)
ゲームのセリフをテキストでなく声で表現するようになって
感情の起伏もよく分かるようになったのかもしれないですが
今のゲームは声に合わせてアクションもつけているので
全体的に冗長化させてる気がします。
大作ほどそういう傾向なんじゃないかと。
私はゲームがやりたいんであって、映画やドラマを延々と見たいんじゃないんだと。
映画やドラマと違って自分で動かせる点が、自分にとってゲームをしたいと思うところのようです。
局所に合わせたムービーのみは時代感的にも必須だとは思います。
でもゲームなのであくまで自分で動かせる部分がゲームの時間の大半を占めてほしい。
ゲームを通して自分という人間性が一つ分かった気がします。
ゲーム最高!